第133章



 とある日の出来事である。

 希は帰寮しようと校舎を進んでいた。
 ようやく三角棒の廊下が終わり、玄関フロアのちょっとした空間に足を下ろしたところで、その騒ぎを耳にした。

 何人かの生徒の声が聞こえる。
 そのほとんどは男子生徒の声のように聞こえたが、その中に、細く慎ましげな声が混じっている。
 靴箱の陰で何かが起こっていた。
 希は、不安にかられながら靴箱に身を隠すようにして、その現場をうかがった。
 そこには、3人の男子生徒と1人の女子生徒がいた。
 3人の男子生徒はよく見覚えがある……同じクラス、2年生の男子生徒だった。
 そして女子生徒は1年生……佐伯美奈だった。
 
 美奈は、学校から帰ろうとしてこの場所まで来たところを、目の前の男子生徒に声を掛けられ、足止めされたのだった。
 そして提示されたのは「生徒手帳検査証」と書かれた1枚のカードだった。
 それは、この学園で不定期に実施される生徒手帳の内容確認を認めるための証書である。
 

 希は、その光景を見て迷っていた。
 今すぐ美奈を助けに駆け寄りたいところではあるが、あの「生徒手帳検査証」の効力に対して、女子生徒である自分はあまりにも無力であった。
 仮に、自分が間に割って入ったところで、あの「検査証」を盾にされては自分には何もすることはできない。
 それでも、やはり放っておくことはできなかった。

 唯一の救いは、あの「生徒手帳検査証」の効力は1枚につき1人ということ。
 つまり、あの「検査証」の犠牲者は1人の女子生徒に限られるということだ。
 希は意を決して歩み出た。

「あなたたちっ!
 美奈ちゃんを放しなさい!」

 希は、靴箱の陰から抜け出し、男子生徒と美奈の前に躍り出た。
 そして、男子生徒たちと美奈の間に割って入るように身を乗り出す。

「希ちゃん、どういうつもり?」

「今、美奈ちゃんの『生徒手帳検査』をしようとしているんだけど。
 そこどいてくれないかな?」

 突然現れた希に、男子生徒たちは怪訝そうな顔で疑問をぶつける。

「あんたたちこそどういうつもりよ。
 後輩の女の子つかまえて、生徒手帳の確認だなんて。
 何を考えているの!」

 希は、男子生徒たちに向かって声を上げた。
 年下の女の子を無理やり辱めようとしている男子生徒たちを、嫌悪を隠さぬ視線で睨み返す。

「でも、これはきちんと校則で認められた正当な権利だからね。
 この『生徒手帳検査証』を持っている限りは、女子生徒の生徒手帳を確認することができるんだよ。
 まさか、2年生にもなった希ちゃんが知らない訳もないよね」

「…………」

 そのとおりである。
 この「生徒手帳検査証」を持っている男子生徒は、必要と認められれば、いついかなる場所でも女子生徒の生徒手帳の内容を確認することができることになっ ている。
 それに対して女子生徒には、この「生徒手帳検査証」を提示されて生徒手帳の確認を求められたときには、速やかにその要求を受け入れ、協力することが義務 付けられているのである。

「……み、美奈ちゃんは、見逃しなさいよ……」

 希は絞り出すように言う。

「美奈ちゃんは1年生なのよっ!
 かわいそうだと思わないのっ?
 こんな年下の女の子を辱めて、何が楽しいっていうのよっ!」

 激昂する希とは裏腹に、男子生徒たちの表情は変わることはなかった。

「言いたいことはそれだけ?
 だったら、そろそろ生徒手帳の検査をしたいんだけど、そこどいてくれるかな?」

「だっ……だから美奈ちゃんはダメだって……」

「ダメとかなんとか、希ちゃんが決めることじゃないよ?
 僕らはこの『生徒手帳検査証』を持っていて、校則で決められた手順に従って、権利を行使しているだけなんだから。
 風紀を乱そうとしているのは、希ちゃんの方だよ」

「……くっ……」

 もはや、口論にすらなっていなかった。
 男子生徒たちは、校則を盾に、この生徒手帳検査を譲るつもりなど欠片もない。
 そして、聖女学園の女子生徒である希に、その男子生徒を止める手段などはないのである。
 仮に、ここで力ずくで男子生徒を取り押さえたとしても、希に校則違反の厳罰が下されて、ありえないほどの辱めを受けてしまうであろう。
 もしかしたら、連帯責任として美奈にも、その累は及んでしまうかもしれない。
 だが、このいたいけな後輩を、男子たちの前に残して立ち去ることなどできるはずもない。
 希は、最後のそして唯一の手段をとることを選択した。

「……お願い……美奈ちゃんは……見逃してあげて……」

 屈辱の嘆願。

「……わ……わたしが、代わりになる……から……」

 それが、唯一、希が取り得る選択であった。
 男子生徒が「生徒手帳検査証」を手にしている以上、生徒手帳検査を逃れることはもはや不可能である。
 ただ、その「検査証」は一枚につきひとりの女子生徒を検査することになっている。
 つまり、自分が検査対象となれば、自動的に美奈ひとりは助けることができるのである。

「なに、美奈ちゃんの代わりに、希ちゃんが『生徒手帳検査』を受けるの?
 希ちゃんが、自ら進んで『生徒手帳検査』を受けるなんて、初めてだね。
 ホントにいいのかい?」

「…………い……いいわよっ…………。
 だ、だからその『検査証』は美奈ちゃんじゃなく、わたしに使って!」

「せ、先輩っ!
 あ……あたし……」

 希と男子生徒たちの会話を聞いていた美奈は、希が自分の身代わりになろうとしていることに、異議を唱えようとする。

「いいから。
 美奈ちゃんは、いいから……。
 わたしなら、大丈夫」

 そんな美奈を背中に庇うようにしながら、希はやさしく声をかけた。

「さっ、早く……わたしにその『検査証』を使いなさい」

 希は、男子生徒の方をしっかりと見つめて、はっきりと言い放った。

「まぁ、いいだろう。
 希ちゃんが『生徒手帳検査』を受けるっていうんなら。
 ……それじゃあ、佐藤希の生徒手帳確認を要請する。
 佐藤希は、生徒手帳を提示し、速やかに確認に応じること」

 男子生徒は、「生徒手帳検査証」を希に提示しながら確認要請を宣言した。
 これにより、希には生徒手帳の確認に応じる義務が生じたのだった。
 希は、宣言する男子生徒を睨みつけながら、その言葉を耳にしていた。

「それじゃあ、生徒手帳を出すんだ」

 男子生徒の命令に従い、希は携帯していた自分の生徒手帳を男子生徒に手渡した。
 その手がわずかに震えてしまうのは、羞恥と屈辱の証でもある。
 そして、渡した生徒手帳と引き換えに、「生徒手帳検査証」を男子生徒から受け取る。
 これで男子生徒は、生徒手帳を希に返すまでの間、生徒手帳の確認作業を実施することができることになるのである。
 ここで女子生徒に逃げ出すことは許されない。
 生徒手帳の携帯は義務でもあり、生徒手帳不携帯の状況で捕まえられてしまうと、さらなる辱めの罰が約束されている。

「さっ、美奈ちゃんは早く帰りなさい」

 希は、生徒手帳と引き換えに「生徒手帳検査証」を受け取り、これで美奈への危険がなくなったことに安堵した。
 そして、希が振り向きながらそう言ったとき、希の言葉を追うように男子生徒が宣告した。

「『生徒手帳検査証』の権限により、佐伯美奈の生徒手帳確認を要請します。
 佐伯美奈は、生徒手帳を提示し、速やかに確認に応じること」

「なっ!
 なに言っているのよっ!!」

 男子の方に振り返りながら、希は声を荒げた。

「その『検査証』は1枚につきひとりの女子生徒の生徒手帳確認っていう決まりでしょ!
 あんたたち、そのルールを破るつもりっ?
 だったら、わたしたちだってそんなものに応じる必要はないわね!
 さっ、美奈ちゃん、こんなやつらほっといて帰りましょ!」

 そう言って希は美奈の手を取り、男子生徒たちを振り切るように玄関から外に足を踏み出した。
 しかし、外に出た2人に先回りするように、ひとりの男子生徒が回り込み、行く手を塞いだ。
 回り込んだ男子生徒は、希に生徒手帳検査の宣告をした男子生徒の隣に立っていた男子生徒であった。
 その男子生徒が手にしている一枚の紙が、希の目に映り込む。
 それは、「生徒手帳検査証」であった。
 ハッとした希が振り返り、先ほど振り切った男子生徒の方に目を向けるとその男子生徒の手にも1枚の「生徒手帳検査証」が掲げられていた。
 なんと、男子生徒たちは、1枚だけではなく、もう1枚の別の「検査証」を用意していたのである。

「……なっ……」

 絶句する希。

「だれがルールを破ったって?
 だれが、1枚しか『検査証』を持っていないなんて言った?
 ヒヒヒッ、希ちゃんが自ら生徒手帳の検査に応じるって言うんだから、見モノだったな。
 ご苦労様、希ちゃん。
 でもね……、校則に従って2人とも検査には、応じてもらうよ♪」

「……は……謀ったわね…………」

 つぶやく希は、今までのやり取りが、男子の策略だったということを知らされた。
 あえて「検査証」が1枚しかないと思わせておいて、希が苦渋の決断をするのを面白おかしく見ていたのである。
 はじめっから、2人とも検査するつもりであったにもかかわらず……。


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