虜囚
ここでの生活は、地獄と言ってもいい。
一日じゅう、このおかしな触手虫に、いいように性器をまさぐられ、一体、一日に何度果てているか、数えられないほどである。
脚を閉じられない枷をはめられ、床に転がされて、いいように虫に弄ばれるなど、恥辱以外のなにものでもない。
せめてこの背中で戒められた両手が自由なら…………いや、両手が自由になったぐらいで、何かが好転するとも思えない。
この牢で、この淫らな虜囚となってから、どれだけの日が過ぎただろう……。
果たして、今の私の姿を見て、姫様の近衛騎士隊の隊長ということに気付くものがどれだけいるだろう……。
今の私に、騎士としての誇りがどれほど残っているのだろうか……。
――食事の時間よ
この牢に唯一の変化が現れるのは、この食事の時間に看守の女が来るときだけだ。
食事の時間……本来生きるための糧を得る恵みのときであるが、ここでは、そんな慈悲はかけらもない。
私にとって、この食事の時間が最大の地獄と言ってもいい……。
一日で、唯一、触手虫から離れられる時間だ。
私は、首輪を引かれて牢の外へと連れ出される。
とはいえ、両手を背中で戒める手枷と、両膝を肩幅以上に開かせている足枷はそのままだ。
がに股を強いられ、まともに歩くこともできず、当然、逃げることなどできはしない。
騎士の鎧どころか、身にまとう布切れひとつ与えられないこの身体でそんな格好をすれば、私の女としての膨らみも、下半身の恥ずべきところも、すべて無様に晒してしまうことになる。
しかし、そんな身体を隠す自由すら、私には与えられない。
それでも、この肌を晒す恥辱など、この後の辱めを思えば、まだマシと言えるだろう……。
そうして、連れてこられるのが、この食堂……という名の掃き溜めだ。
寒々しい石造りの小部屋の床に、薄汚れた皿と大きな桶が置いてある。
そして、その奥にある小さな机の上には、こちらはきれいな皿に盛りつけられた食事が並べられている。
パンに野菜に焼きたての肉と温かいスープ。
まさにご馳走だ。
このご馳走が、私の食事である。
……しかし、このご馳走、それをきょうは食べることができない。
私が食べることができる食事をよそうのは、この床に置かれた薄汚れた皿なのだから……。
私は、ゆっくりと薄汚れた皿を跨いで腰を落とす。
ちょうど、私の尻の下に皿が来るように。
そうして準備を終えると、看守が私の尻の穴に詰められた栓を開錠する鍵を取り出し、封印された私の尻の穴を解放するのだ。
しかし、ただ腰を落とすだけでは、この尻の穴の鍵は開けられない。
腰を落とした格好になってから、この看守に「お願い」をしなければ開けてもらえないのだ。
それも、考え得る限り卑猥で屈辱的な言葉で……。
ここで、言葉にためらい看守の機嫌を損ねると、その日の開錠はお預けとなり、そのまま牢に戻されることもある。
それだけは避けなければならない。
私は、きょうも卑猥で屈辱的な哀願を口にし、尻穴の解放を望む……。
毎日のことであるが、この恥辱は耐え難い……慣れることなどできはしない。
そんな恥辱に耐え忍ぶ私の態度が、余計にこの女看守を悦ばせているということもわかっているのだが、こればかりはどうしようもない。
……耐えるしかない。
一日ぶりに開けられた尻の穴……。
私は、お腹にゆっくりと力を込めながら、尻の穴から少しずつお腹の中のものをひり出していく。
……そう、私が食べる薄汚れた皿の上に……。
私の尻からは、普通の排泄物とは違うモノがひり出される。
それは、まだ辛うじて原形をとどめているパンや穀物、肉や野菜だ……。
……そう、きのう、私は尻の穴の中に、あの机の上に置かれていたご馳走と言ってもいいこれらの食事を詰め込まれたのである。
そして一日たった今、そのお腹に詰め込まれた食事を、皿の上にひり出している。
これが、きょう、私が食べることができる食事だ。
しかし、それはもはやまともな食事の姿ではない。
一晩かけて、私のお腹の中で熟成された食事は、私自身の排泄物と混ざり合って、茶色く染め上げられてしまっている。
いや、食事に混ざって、明らかに私の排泄物そのものも皿の上にひり出されている。
お尻の穴から排泄しているのだから、それが混じってしまうことは避けられない。
ある程度の量を、皿の上に落としたところで、私は一旦排泄を中断する。
それから、隣においてある桶に改めて跨る。
そして、今度は力を込めて腹の中のものを、桶の底に叩きつけるのだ。
桶の中には、私の見るに堪えない汚物に混じって、肉や野菜のかけらも入っている。
私は、この2回に分けて行う排泄を看守の目の前で行う。
そう、看守は私がこの皿や桶に排泄している最中、私の周りをまわりながら、あらゆる角度から見張るのである。
膝を開いた形で拘束されているせいで、私の恥ずかしい部分はすべて丸見えとなっている。
女性器も、そして今食事をひり出しているお尻の穴も……。
そんな人として……女として耐え難い恥ずかしい姿を晒しながら、排泄する。
……これを、毎日繰り返している。
そう、この牢屋に閉じ込められた日から、毎日毎日……。
皿と桶の2回に分けて排泄し終わった私は、皿の上に盛りつけられた、そのパンや穀物、肉や野菜のなれの果てと、私の汚物の混ざり合った食事に、はいつくば
りながら口をつける。
この、私が尻から皿の上に出したものだけが、唯一私が食べることができる食事である。
汚物まみれのこの食事こそが、私が生きていくための唯一の糧となるのだ。
私は、自分の糞にまみれたその食事を咀嚼し、呑み込んでいく。
パンも穀物も、肉も野菜も、そして便も……すべて食べる。
この皿の上に出したものは、どんなものであってもすべて残さず、食べなければならない。
たとえ、それが自分の糞だとしても……。
そう、この皿に盛られたものは「食事」なのである。
一方、隣の桶に入れられたものは「汚物」である。
食事はすべて食べなければならないし、汚物はすべて廃棄される。
もちろん、できるだけ食料と便を分けて出そうと考えるが、入れられた直後ならまだしも、尻の穴から入れられて蓋をされ、一日もたった後では、お腹の中で
私の便と混ざり合ってしまい、分離することなどできはしない。
できるだけ便の少ない部分だけを……と少量だけを皿に出し、残りをすべて桶に排泄したこともあったが、それでは食料のほとんどが廃棄されてしまい、わずか
しか食べられない上に、それでも便が混ざってしまうのは避けられない。
食べる量を増やそうと、皿の上にたくさん出せば、それだけ糞の量も多くなり、とても食べられるものとは思えなくなる。
もっとも……お尻から出したものなど、どんなものであっても食べる訳などないのだが……もはや感覚が麻痺していることは自覚せざるを得ない。
それでも、生き延びるために、この汚辱に耐え忍び、汚物まみれの食料を食べなければならないのだ。
そんな排泄の試行錯誤を1ヶ月も繰り返して、私はようやく我慢の許容ぎりぎりの配分を身に着けてきた。
……深い屈辱の末に……。
……そうして、皿の上の食事と糞をすべて食べ終わったところで、明日の食事の準備が始まる。
そう、奥の机の上に置かれていた温かいご馳走を、明日の食事にするために、私の尻の穴へと注ぐ作業だ。
焼き立てのパン、香ばしい炒めもの、柔らかそうに焼き上がった肉、温かいスープ……それらが、看守の手にした浣腸器によって、私のお尻の穴へと押し込められ、そしてお腹の中に
詰められていく。
浣腸器に入らない固形物のうち、固いものは一口ほどの大きさに刻まれた上で、私のお尻の穴へと詰め込まれていく。
柔らかいものについては、そのまま、私のお尻の穴を押し広げるようにして、押し込まれていくのである。
フォークやスプーンを使って、お尻の穴を広げたり、食事を奥まで押し込んだりしながら……。
もちろん、ついさきほど排便したばかりで、お尻を拭うことすらできない私のお尻の穴の周りは、醜い糞便で汚れたままである。
しかし、それを拭うことすら虜囚たる私には許されていない。
その汚濁をそのままに、肛門へと食事が詰め込まれていく。
いや、その詰め込んでいく食事を使って、お尻の穴の周りを拭うようにして……すなわち、私の汚物をパンや肉に塗り込むようにしながら入れられるのであ
る。
既に、まともに食べられるものとは言えなくなっていることは、想像に難くない。
そうして、机の上のすべての食事が、すべて私の尻に収まったところで、再度、肛門を封じる栓が挿入され、鍵によって厳重に封印されるのである。
これで、きょうの食事とそして排泄は終了だ。
また、あの牢に連れ戻され、触手虫に性器を弄ばれ、逝き果て続ける一日が始まる。
このように、この「食事の時間」というのは、私にとっては「食事の時間」であると同時に「排泄の時間」でもあり、また明日の食事のための「準備の時間」でもあるのだ。
この変態じみた狂気の食事を、囚われの身となってから、毎日繰り返している。
どんなにおいしそうで豪勢なご馳走であったとしても、私のお腹の中で一日かけて汚辱の残飯へと熟成されてしまう。
そんなものを口にするなど、まともな人間のすることではない。
かつて、食事を拒んだことがあった。
……しかし、そのときには尻の穴の栓を二日も開けてもらえず、地獄の苦しみを味わった。
今の私にとって、食事というのは同時に排泄でもある。
食事を抜くということは、排泄を禁じられるのと同義である。
しかも、前の日に大量の食料を浣腸された上でのことである。
空腹の苦しみには耐えることができても、便意の苦痛に耐えることは不可能だ。
食事を拒んでから一日がたったころ、私は猛烈な便意に屈して、涙ながらに謝罪と反省の言葉を口にして、栓を抜いてもらうように懇願した。
しかし看守は、その日、私がどんなに願っても泣いても叫んでも、一切言葉を聞こうとすらしなかった。
翌朝、私は牢獄に訪れた看守の足元に頭を擦りつけながら、気が狂いそうな便意に泣き叫び、死に物狂いでこの苦痛からの解放を哀願した。
このとき、もはや私の中に騎士としての誇りなど見る影もなかったことだろう。
それでも、看守は私の言葉に一切耳を貸そうとはしなかった。
牢獄の中で、触手虫に性器をまさぐられ、便意と性感に狂わされながら泣き叫ぶこと二日……、ようやく看守が私の言葉を聞くそぶりを見せた。
私は、発狂しそうな思考と身体を抱きしめながら、考え得る限りの恥辱と屈辱の言葉、そして浅ましい恥態の披露と引き換えに、二日ぶりの食事と排便を許されたの
だった……。
そのとき私は、お腹の中のものすべてを皿の上に排泄し、そしてそのすべてを食べた……。
ひとかけらも残さず、一滴も残さずに……。
またかつて、出してしまったもののあまりの凄惨さに、皿の上に出したものを残したこともあった。
そのときには、机の上の食べ物を尻の穴に詰め込まれた後、皿の中に残した食事、そして桶の中に出した汚物を、食料を詰め込んだ後の尻の穴に注ぎ込まれてしまった。
食料の後に糞便を注入されてしまえば、両者がお腹の中で混ざり合ってしまって、もはや食物と便を分けることなど不可能である。
しかも、2日分の食事をお腹に押し込められた苦しみは、言葉
にするのも難しい。
その日私は、激しい便意に身悶えながら、触手虫の陵辱に逝かされ果て続けた。
……翌日、皿に出したモノは、もはや食物と呼べるものではなく、単なる糞便となっていた。
食料としての面影を残している部分など、微塵もなかった。
私は、それを完食した…………するしかなかった…………。
今では、できるだけ食事をもとのままの形で保たせるために、力の限りお腹の中のものを桶の中に吐き出して、できるだけお腹の中を空っぽの状態にしてか
ら、食事を入れられるように努力している。
もちろん、そんなことは気休めにしかならないことは毎日の経験からわかっているのだが、そうは思っていても、やらないよりはましである。
それでも、ときにはお腹の調子が悪く下痢になり、もはや食べ物以外のものを多く口にしなければならないときもあるのだが……。
かつて騎士として姫様の傍に仕えていたこの身が、下痢便をすすって飲んでいる姿など、誰が想像できるだろう。
この牢に囚われてから、既に2ヶ月はたつはずだが……この地獄から逃れられる日は来るのだろうか……。
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